ここ数日間、頭に少しあったことが目の前に現れてる。
生きること、命について、そんなことをふと考えていた。
今朝起きて、テレビをつけたら将棋士「村山聖」の番組がやっていた。
村山聖は幼少期からフロネーゼという病気を患った。
病気から入院中に将棋と出会い、名人を目指し将棋に没頭した。
病に何度も苦しみ、しかし名人になるという志から倒れながらも将棋を続けた。
29歳という若さで亡くなってしまった。
羽生善治の終生のライバルとして互角に渡り合った。
僕は将棋を詳しく知らない。
しかしながら、村山聖の人間としての生き方、周囲の村山聖への想いを感じて吸い込まれるように見入ってしまった。
村山聖が亡くなった29歳、僕も今29歳。
そこにも共感があったのだろう。
病気があったから将棋があったと村山聖は言ったという。
病気がなかったら、将棋士に出会わなかったと。
病気を苦にせず、病気と、将棋と向かい合い駆け抜けた29年間。
人には人のドラマがあって
フィクションのような世界も現実には存在している。
大なり小なり、その人の人生はウソのような本当の話が存在している。
自分にとって、生きる意味がなんなのか
自分がなにを目的にこの世に存在するのか?
そんなこともボソッと考えてしまう時がある。
しかしながら、今元気に生きている。
今身の回りにある全てものは僕の分身なわけで。
やっぱり今は発信することが、僕の生きてる意味なんだなって漠然とだけど感じた。
どんな手段でも表現して、発信して、自分のやりたいことをやって。
世界を変えていきたい。
僕は今生きてる、生きてるからに使えるもの使って発信していきます。
考えることができる、伝えることができる。
それでいいんだ、思ったことが伝えたければ伝えればいい。
混じりっ気なしの等身大の自分で行こう。