先日、流れに身を委ね切っては失敗する可能性は高いというエントリーを書きました。
これは、会社や人間界におけるイエスマンも同様と言えると思います。
一回、イエスマンというレッテルがついてしまうと覆すことが容易でないということです。
例えば、遊びの約束をほとんど断らずにいると断った時に執拗に詮索されてしまうことや、他の予定を事細かく問いたださることも…
あいつに連絡すれば、必ず了解がもらえるという絶対的イエスマンになってしまうのです。
その印象がつけば、たちまち周りからも同じ扱いをされ、やがて自分軸を失ってしまうのです。
これは非常によろしくない。
僕なんかは昔からそうなので、疲弊することが多々あります。
なので断るものは断る、行けるなら行けるとハッキリさせることですよね。
曖昧でなく、ノーはノーだと言える勇気ですね。
これは、嫌われる勇気と同じだと僕は思っています。
なぜなら、世の中は全てが全てイエスでできているわけではないからで。
断るべきものは断る。
これは自分への戒め込めて書いてます。
ハッキリ行こうぜニッポン